食の節制と功過格


聖天様の御利益をより一層いただくために

聖天様から大きな御利益をいただいても、その後の本人の行動から、失敗したり衰退したりしてしまう例が昔から多いようですが、聖天様との仏縁を深め、引き続き御加護をいただくためには、聖天様への真摯な信仰はもちろんのことですが、“徳を積む”ということが必要になるようです。聖天様からより一層大きな御利益をいただくきたい時にも、信者本人が日常生活で徳を積むことが不可欠な要素となるように思われます。

神仏への信仰心を持った上で、徳を積む行為、いわゆる積善、徳積みを行うことによって、自分の運命に左右されず、開運することが可能であると伝えられています。徳を積むには、まず一つは食を節制することによって徳を積むこと、もう一つは善行を行うことによって徳を積むことです。

食の節制によって開運した人物に、江戸時代の観相家、水野南北がいますが、南北は熱心な聖天信者であり、信仰と食の節制という積善によって財を成し、今も子孫が地元の名士として栄えています。

江戸時代の観相家 水野南北

水野南北の著書『相法修身録』から記事を一部抜粋します。

参考サイト
http://www7a.biglobe.ne.jp/~nanboku/bassui.html

○人間の生命の根本は食である。たとえどのような良薬をもちいても、食べなければ生命をたもつことはできない。だから人にとって本当の良薬は食である。

食事量の多少によって、人間の貧富や寿命や未来の運命を予知することができる。古人の言葉に「天に禄なき人は生じず、地に根なき草は生えず」ということばがあるが、その身ほどによって天より与えられた一定の食事量がある。みだりにむさぼり食う者は、天の戒律を破る者である。生命の存在するところに必ず食べ物があり、逆にいえば食べ物あるところに必ず生命が発生する。食べ物は生命の源であり、生命は食べ物に随うものである。そして人間の生涯の吉凶は、ことごとく食によって決まるといっても過言ではない。

三度の食事が粗食で少量の者は、悪相・貧相であっても金持ちになり、子孫に財産や名誉をのこすであろう。いつもは粗食だが時々大食するものは大凶である。

いつも身のほどに不相応の美食をしている者は、たとえ人相は吉であっても運勢は凶である。その美食癖をあらためなければ、家を没落させ、出世も成功もおぼつかない。まして貧乏人の美食家は「働けど働けどわが暮し楽にならず」で、一生苦労する。

大いに成功・発展の相があっても、怠け者でずるく、酒肉をたのしみ、自分の本業に精を出さない者には成功・発展はない。

子供の相が貧相で悪くても、その親が食に慎しみをもつならば、みだりに貧相悪相というべきではない。子供は、その親のなすところによって悪相から善相に一変することがある。子に対して親は本であるから、その本が正しければ子もおのずから正しくなる道理である。もっとも、過去世の因縁を解いてやるのは親の務めであり、親が解けないほどの因縁の場合は、子が成長して自ら解くほかない。
 悪因を解き善因を積むには、陰徳を積むほかはない。世に慈善事業や放生をして陰徳を積んだつもりになっている者があるが、これらはみな人に知られる行為であり、真の「陰徳」とはいえない。

仏法は精神を治めることを本とするゆえに食を慎むのである。なぜなら万事心が乱れることは、みな飲食を本として起るからである。飲食を慎むときは心静かになり不動心を得る。不動心を得れば、その道(仏道)を得ることはたやすい。

千日千夜祈ってもあなたに実がなければ神明はどこにもおられない。また実を持って祈ろうとのぞむなら自分の命を神に献じ奉ることだ。食は自分の命を養うもとである、これを献じ奉るということはすなわち自分の命を献ずるのと同じである。

○万物ことごとく妙法でないものはない、また相でないものもない。また相には有無の二つあって無相はかたがないといってもその全体像ははっきりしている。これを微妙という。すなわち心であって簡単にはいいあらわせない。また有形は形であって、かたちのあるものは法であり、体もそうである。法あるものは滅びて行く。これが法の道であり相法の道である。性ことごとく微妙より来たって、はっきりと法形を生ずる。


食は運命を左右する―現代語訳『相法極意修身録』
水野 南北 , 玉井 礼一郎
たまいらぼ出版
※残念ながら絶版

食の節制以外の陰徳を積むことによって運命を変えた人物に、中国の明の時代に生きた袁了凡(えんりょうぼん)という人物がいます。

袁了凡が、自分の運命を変えた実践方法などを息子の天啓のために書き残した「陰隲録(いんしつろく)」という書物には、次のような「立命の学」ということが書かれています。


中国・明代の官吏 袁了凡

参考サイト
http://www.shiseikai.net/index.html


袁了凡は幼い頃に父を亡くし、官吏になろうと勉強をしていた。然し、お母さんから医者になる勉強をしなさいと云われたので医学を学んでいた。ある時、慈雲寺で仙人のような孔という老人に出逢った。孔老人は「あなたは官吏になるはずの人なのにどうして医学を学んでいるのか」と尋ねた。袁了凡が経緯を話すと、孔老人は「私は易学を使うが、あなたに会う為に遙々と来た。どこか泊まる所はないか」と云うので、袁了凡は孔老人を家へ連れ帰った。
 
孔老人に色々と占ってもらうと全部的中していた。孔老人はどの試験は何番目で合格するなどということを云ったが、悉く的中していた。そこで、袁了凡は官吏登用試験を受ける為の勉強をするようになった。又、孔老人は袁了凡の一生の吉凶を占って「何時の何の試験は何番目で合格する。何時の年に貢生の地位となり、何年後には四川省の長官になり、二年半で帰郷する。五十三歳の時八月十四日丑の刻に座敷の表で一生を終わることとなろう。子供はいない」と告げた。
 
その後、袁了凡は事ある毎に孔老人の告げた事と突き合わせたが、皆悉くその通りであった。このようなことがあったので袁了凡はそれぞれの事には時期というものがあるということを信じるようになり、運命論者になってしまったのである。
 
貢生という役人になってからのことである。棲霞寺に雲谷禅師を訪ねた。「人が聖人になれないのは、邪念がまとわりついているからなのであるが、お前は三日の間座っていたが、邪念は一つとして起きなかったが、どういうことか?」と問いかけた。袁了凡はそれに答えて「私は孔先生という易の名人に占って貰ったことがあります。それによって私は一生の栄枯生死は既に定まっていることを知りました。それ故に邪念を想起しようにも、しようがありません」と云った。
 
それを聞いた雲谷禅師は、「私はお前を優れた人物であると思ったが、今の話を聞いてお前が凡人であることが分かった」と大笑いしながら云った。袁了凡は直ぐにまた聞き質した。雲谷禅師は答えた。「人は無心になれないから、ついには陰と陽との働きによって束縛されてしまう。それ故に、どうしても運命に支配されてしまうのだ。但し、それは唯凡人にだけ運命があるのであって、善を極めた人に対しては運命も天地も拘束することは出来ない。極悪人は逆に運命を頼んでも業というものに引きづり回されて定まらないのである。お前は二十年以上も、孔老人の占いの儘にいて、未だ少しも変化していないというのは凡人というより他はない」と。
 
更に袁了凡は尋ねた。「それでは、運命というものからは逃れることが出来るのでしょうか?」
 
禅師が答えた。「詩経や書経に云うところの運命は自らつくり幸福は自ら求めるものであるということは真に立派な教えではあるが、仏典にも功名を求めれば功名が得られ、富貴を求めれば富貴が得られ、子女を求めれば子女が得られ、長寿を求めれば長寿が得られると説かれている。妄語は仏道者の大戒の一つである故に諸仏諸菩薩がどうして人を騙すことをしようか」
 
袁了凡は更に問う。「孟子は、求めれば得られるが、それは自分の中にあるものを求めるからであると云うが、道徳や仁義のようなものは努力することによって求めることもできようが、功名富貴はいくら努力しても求めることができないのではないでしょうか?」
 
禅師がまた答えた。「孟子の云うことは間違ってはいない。お前が間違って解釈しているのだ。大祖大師もこういっている。すべての幸福の生じる畑は心の中にあると。心の中に従って求めるならば感じて通じないものはないのである。自分の中にあるものを求めれば、ただ単に道徳仁義を得るばかりではなく、功名富貴も得ることが出来て、内外共に得ることが出来るのである。これが求めて益のあるということなのだ。若し自分に省みることなく徒に外のみ向かって求めたならば、旨くは行かずに内外共に失うこととなる。それ故、身には何の益もないことになる。というのが孟子の真に意味するところのものである。お前はこれをどう思うか。」

袁了凡は黙って考えていた。すると雲谷禅師は更に尋ねた。「ところで孔老人は、お前の一生をどう占ったのか。」袁了凡は告げられた通りのことを答えた。
 
雲谷禅師は、「それでは孔老人の占いとは別に、お前自身で考えてみて、科挙の試験に合格できるかどうか、子供が生まれるかどうかをどのように判断するのか。」
 
袁了凡は、考えて答えた。「合格も出来ず子供も生まれないでしょう。試験に合格するような人は、大抵に福相がありますが、私は福が薄く、また、功徳を積んで善行を重ねて幸福の基礎をつくるというようなことも出来ません。その上、世間の煩わしいことには耐えられず、度量も狭くて人を容認する寛容さもありません。時として自分の才智で人を押さえることもあり、或いは思うままを直ぐに言動に表してしまうところがあります。口も軽く当を得ない談義もします。これらは総て薄徳の相です。このような私がどうして官吏登用試験に合格して役人になることが出来ましょう。云々」
 
雲谷禅師は続けた。「それはそうであろう。試験の合格や不合格、子供のある無し、総て徳の如何に依るものである。お前は今や既に自分の非を悟った。今までは孔老人の占いの通りであったが、これからは今まで合格も出来ず子供も生まれないという悪相を真心を尽くして改め除き、善徳を積むことに精進し、努めて人の言葉を聞き容れる度量を持ち、和やかな愛情を持つようにしていけば、これまでの色々な事柄は、例えば昨日死んでしまったかのように無くなり、今後の色々な事柄は今日生まれたかのように新しくなっていく。これを道徳再生の身というのである。


書経の太甲篇に、天が下す災いは猶避けることが出来るが、自分の作った罪科による災難は避けることが出来ない。どうにもならないことだ、とある。孔老人がお前は科挙の登庸試験に合格出来ず、子供も生まれないということを占ったのは、これは書経にいう天の為せる災いと同じであるから避けることが出来る。お前が今後徳分を積んで善い事を為し、多くの陰徳を積んでいくならば、これこそ自分が作った福なのである。自分が作った罪科による災いを避けることができないというなら、自分の作った福もまたこれを受けることが出来ないということがあろうか。易経の最初に、善行を積んだ家には必ず子孫にまで及ぶ有り余る程の慶福がある、と書かれているではないか。お前にはこれが信じられないのか。」
 
袁了凡は雲谷禅師の仰ることを真理であると感じて受け入れた。雲谷禅師は功過格(言動を善事と悪事とに分けて、それぞれ格付けをして点数を付けたもの)いう冊子を手渡し、更に「ジュンテイ呪」という呪文を袁了凡に授けた。毎日の自分の所行をこれに書き付けて、善事ならばその数を書き加え、悪事であるならば善事の数からその分の数を引いて書きなさい、そしてこの呪文を唱えて仏の加護を請いなさいと教えた。袁了凡は仏前に座して過去の罪過を心から懺悔し、誓願を一つ作った。科挙の登庸試験に合格することを願って善事三千を行って天地先祖の徳に報いることを誓って精進し、孔老人が合格しないと占った科挙の試験に合格したのである。
 
袁了凡はこのようにして運命の改善を始めたのである。

「始めるとなれば、昨日までは只悠々と暢気にしたい放題の生活であったが、こうなると一挙一動、一言一句が等閑には出来ず、人の見ていない独りの時でも自然と行動を慎むようになった。その代わり対象が天地自然であって人ではないから、人がどんなに私を憎んだり誹ったりしても心を動かさず、平然として受け入れられるようになった。このようにして孔老人が合格しないと告げた科挙の試験に翌年に一位で合格した。この時つくづくと雲谷禅師の仰ったことを身にしみて感じ、いよいよ運命転換が可能であることを確信したのである。そうして善事三千の積徳の行の完成に精進したのである

然し、日々に反省してみると、猶我が身には過ちが多くて悔やまれることばかりであった。道を行うことに純粋でなかったり、正しいことを実行しようと思いながら勇気の欠けて妥協してしまったり、人の難儀を救おうとしながら心が籠もらずに中途半端で終わったり、信念が揺らいで行動としては善いことを為しながらも口では過った事や礼儀に反することを言ってしまったり、或いは酒を飲まない時には堅固に身を保つことが出来ても、酒に酔うと気儘に振る舞ったり投げ遣りな行動をしたり、などということで折角努力に努力を重ねて積んだ善事も、これらの過ちを引き去ると後には幾らも残っていないということとなって空しく時が経っていくばかりであった。そういうような訳で、三千の善事を完成するのに十年余り掛かってしまった。
 
翌年、高徳の性空、慧空上人を請いて三千善行を回向し天地祖先に供養した。更に跡継ぎとしての男子が授かるよう願いを掲げ、新に三千の善事を実行するという誓いを立てた。息子よ。その翌年にお前が生まれたのだよ。」 この二度目の三千の善行は僅かに四年で完了した。この後も善行は続いた。
 
「孔老人の占いでは、私の寿命は五十三歳で、その年の八月十四日丑の刻に尽きるとあった。然し、私は、今までに長寿や延命を祈ったことなど一度もない。それにも拘わらず、五十三歳の年は心身共に何等の苦悩もなく全く安穏の年であった。そうして今や六十九歳にして壮健の者にも負けないくらい健康であることは、息子よ、お前の最もよく知るところである。(袁了凡は八十三歳まで生きた)
 
書経に、天命は当てにならず一定しないものである とも また、天命は一定しないものである といっているが、これらは皆人を欺く言葉ではない。禍福は己より求めざるものは無し、という賢聖の言葉通り、災いも福も皆、自分の行動や心掛けの結果として現れるもので、つまるところ幸福も不幸も皆、自分が招いたもの自分の求めた結果なのである。禍福は唯天の命ずるところで、どうにもならぬ などというのは俗人の詰まらぬ戯論なのである。私はこれを身を以て知ったのだ。
 
息子よ。お前の運命がどのようなものであるか私には知ることは出来ないが、若し幸いに運命がお前を高位高官に登らせてくれたならば、常に我が身の零落の想いを為し、常に我が身が不如意で物事が思い通りにならない境遇にあると思え。若し、衣食が充分で豊かであったならば、常に貧乏の時の思いを為し、我が身が衣食足らず困窮の境遇にあると思うべし。若し、人に尊重され敬愛される身分になったならば、常に謙虚に虞慎む思いを為し、常に謙れ。若し、学問に秀でているならば、常に未熟の思いを為せ。

斯くの如くに慎み、遠くは祖先の徳を輝かすことを思い、近くは父の過失不徳を補うことを考え、上は国の恩に報いることを願い、下は家門の福を増すことを思い、外には他人の困ることを救うことを考え、内には自分の邪悪不正を断つことを思い、日々に努めて自分の過ちを反省して改めるようにせよ。
 
世の中には、聡明で学問や技芸等にに優れた人はたくさんいるけれども、そう言った人達が色々と為した揚げ句に一時的には成功することがあっても、結局は世に成すほどのこと無く終わってしまうのは、詰まるところ因循の為である。奮発して運命を改善しようという考えを起こすこともなく、自分の不徳を知ることもなく、過ちを改めようともせず、行き当たりばったりの日々を送り、竟にその一生を一つの天命に任せて終わってしまうからである。
 
雲谷禅師が授けてくださった立命の説は、至って詳しく奥深くて真に正しい真理である。お前はこのことを能く熟慮玩味して一心に実行せよ。時日を決して空しく過ごしてはならぬ。私が雲谷禅師から授かり、善悪の基準としてきた功過格表を示す。この功過格に照らして善事を実行せよ。毎日、その日の終わりに日記を書いて、その日に為した功過を反省して記入し、月で纏め、年で纏めるのだ。善を為すことは容易ではない。一日だけで終わって、幾日も何一つ善事を為すことの出来ない日が続くこともあろう。然し、それでも二日続き三日続きとしているうちに次第に長く続くようになるものである。要は倦(う)まず弛(たゆ)まずに為すことである。」
 
袁了凡は、以上のような事を自分の息子に書き残したのである。


【 功過格表 】

百善に値すること。 

1一人の死を救うこと。 他人を救助すること。

2婦人の貞操を完うせしむること。

3捨子または、堕胎を思い止まらしむること。
  
五十善に値すること。

世嗣の断絶を免れしむること。

寄るべなき者を引き取りて養育すること。

無縁者の死骸を埋葬すること。

流浪人に職業を与えること。 
  
三十善に値すること。

出家を得度せしむること。

無法者を教化すること。

10冤罪を救うこと。

11無縁者の埋葬に地所を提供すること。
  
十善に値すること。

12知徳に富む人を就職せしむること。

13.公衆の一害を除くこと。救民の方法を立てること。治療術を用いて重病者を癒すこと。

五善に値すること。

14.救民の方法をたてること。

15.治療術を用いて重病者を癒すこと。

16訴訟を思い止まらしむること。

17.天寿保全の方法を伝授すること。

18天寿保全の方法を立てること。

19治療術を用いて軽病者を癒すこと。

20家畜の生命を救うこと。

三善に値すること。

21.不法の仕向けに対して立腹せぬこと。

22.誹られて弁解せぬこと。

23.好まぬことを忍びて受けること。

24.打ち懲らすべき者を寛恕すること。

25.家畜外の畜類を助けること。

一善に値すること。
  
26.人の善を賞賛すること。       

27.人の悪の顕れぬ様にすること。

28.非行を諭して止めさせること。       

29.争いを諭して止めさせること。

30.一回行きて人の病を治療すること。     

31.忘れた文字一千を写しとること。

32.下心ある接待を受けないこと。     

33.一人の飢えを救うこと。

34.人を留めて一泊せしむること。    

35.教え諭して悔い改める一人に及ぶこと。

36.事業を興してその利一人に与えること。  

37.一時、人畜の疲労を癒すこと。

38.死した鳥獣を埋めること。  

39.虫魚の命を助けること。

金壱万円の値を一善に準ず。
  
40.道路、橋梁を修繕すること。

41.公衆の為、井戸または溝を掘ること。

42.聖像、殿堂、供養物を修理すること。 (費用を出して他人に為さしむる者は、その値を半減する)

43.人の遺物を返すこと(物品の価格を問わず一善に処す)     

44.債務を免除すること。            

45.教化のため、文書を施行すること。

46.功徳を以て非業の死者を回向すること。

47.困窮者を賑わすこと。

48.茶、薬、衣服、棺桶等を施すこと

49.穀倉を設け安価の時高く買い、高価の時安く売ること。

50.公共の場のゴミをを拾うこと。


百悪に値すること。

1.人を死せしむること。

2.婦人の貞操を犯すこと。

3.捨て子及び堕胎を賛助すること。
 
五十悪に値すること。

4.世嗣ぎを絶えしむること。

5.婚姻を破談させること。

6.死骸を放棄すること。

7.人を流浪せしむること。

三十悪に値すること。

8.人に戒行を破らしむること。

9.誹謗を作り設けて人を傷つけること

10.陰事を発きて迷惑をかけること。
    
十悪に値すること。

11.知徳の優れたる人を排斥すること。

12.邪曲の人を推挙すること。
    
13.貞操を失いたる婦人に触れること。

14.人畜殺戮の道具を所有すること。

五悪に値すること。

15.世の中の良俗を破壊すること。

16.風俗壊乱の書物を作ること。

17.救い得る冤罪(えんざい)を救わぬこと。

18.病人の救いを拒むこと。
  
19.人に訴訟を唆すこと。訴訟を無理に推し進め、そそのかす。 

20.人の綽名(あだな)、噂を構作すること。

21.悪口して人を害すること。 

22.道路橋梁を毀損(きそん)すること。

23.人の家畜を殺すこと。

三悪に値すること。

24.他人の法を犯す行いを見て、心の内にて,腹を立てること。
 
25.尊卑の秩序を破ること。公共の場にゴミを捨てること。
 
26.酔うて人を害すること。

27.正しき人に口論、喧嘩を仕掛けること。

28.両舌を用い人を離間すること。

29.その職にあらずして制服を着ること。

30.畜類を殺すこと。

一悪に値すること。

31.人の善行を無効ならしむること。

32.人に争いを唆(そそのか)すこと。

33.人の悪を言い広むること。

34.人の非行を賛成すること。

35.盗みを見て意見をせざること。

36.承諾を得ずして人の物を使用すること。

37.無知の者を欺くこと。

38.約束に背くこと。

39.不作法なる所行をなすこと。

40.人の憂慮を慰めぬこと。

41.人畜の疲労を憐れまぬこと。 

42.害虫の類を殺すこと。

金壱万円の値を一悪に準ず

43.天物を無益に浪費すること。

44.人の功を破壊すること。

45.時勢に反して利益を得ること。

46.人に代わりて金銭を使用するとき、節約せざること。  

47.債務を果たさぬこと。

48.人の遺物を私する事、値の少なき物も一悪とす

49.権勢を借りて物を求むること。

50.巧みに方法を設けて、人に金銭物品を出さしめ又仕事を助力せしむる事。


功 過 格 表(現代風アレンジ版)
功 (善  行) 過 (悪  行)
但し、報酬を受け取ったものは除外する 加点数 但し、意図的に為したもの以外は除外する 減点数
1人の者の命を救う +100 1人の者を死に至らしめる −100
1人の女性の貞節を守らせる +100 1人の女性の節操を失わせる −100
1つの堕胎を止めさせる +100 1つの堕胎を行わせる −100
1つの家系を絶やさないようにしてやる +50 1つの家系を断つ −50
1人の身寄りのない人を養う +50 1つの婚姻を破談にする −50
1つの無縁仏を供養する +50 1つの死骸を見て見ぬ振りをする −50
1人の浮浪者を助ける +50 1人の者を浮浪者にする −50
1人の人を神仏に帰依させる +30 1人の者の誓いを破らせる −30
1人の非行者を教導する +30 1人の者を中傷誹謗する −30
1人の冤罪者を救う +30 1人のプライバシーを暴いて物事を妨害する −30
無縁仏の為に土地の一部を提供する +30 1人の有徳の者を排斥する −10
1人の能力ある者を推挙する +10 1人の行為の思わしくない者を推薦する −10
迷惑事の1つを取り除く +10 1人の者に節操のない人を近づけさせる −10
人々の為になる書物を1つ流布させる +10 生き物を殺す道具を1つ所持する −10
1人の重病人を快復させる手伝いをする +10 教化する書物を1つ消滅させる −5
1人の者の訴訟を諭して止めさせる +5 公序良俗を乱す文書を1つ作る −5
人々に健康増進の方法を1つ伝える +5 真実を1つ隠してしまう −5
人々に健康増進の書物を1つ流布する +5 1人の傷病人が助けを求めても救済しない −5
1人の軽度の病人を快復させる手伝いをする +5 1人の者に訴訟を勧める −5
人に有益な1つの家畜やペットの命を救う +5 1人の者にあだ名を付けたり噂を流す −5
1つの不法行為を受けても怒らない +3 1人の者の悪口を言って傷付ける −5
1つの誹謗を受けても抗弁しない +3 道路や橋を通れなくする −5
1つの気に入らない言葉でも聞き容れる +3 1つの家畜やペットを殺す −5
1人の打ち懲らしめたいほどの者でも許す +3 1つのアドバイスを聞いて憤る −3
人に無益な1つの家畜やペットの命を救う +3 1つの守るべき順序を乱す −3
1人の善行を褒める +1 酔って1人の者を傷付ける −3
1人の失態や汚点をカバーする +1 1人の打ち懲らしめるべきでない者を責める −3
1つの不仲を丸く収める +1 二枚舌でもって1つの人間関係を不仲にしてしまう −3
人の非行行為を1つ止めさせる +1 地位や身分に不相応の行いを1つ為す −3
1人の者の争いを諭して止めさせる +1 家畜やペット以外の動物を1匹殺す −3
出向いて行って療養の手伝いを1つする +1 1人の業績を無にしてしまう −1
一千の言葉の乱れを正す +1 1人の者に争うように唆す −1
饗宴に招かれても応じないこと1回 +1 1人の者の過失を言い広める −1
1人の飢えを救う +1 人の非行行為を1つ作さしめる −1
旅人を1晩泊める +1 盗みを1つ見ても見ぬ振りをする −1
善道を説いて1人の者を導く +1 承諾無しに人の物を1つ取る −1
物事を為して、それが1人の者を利する +1 1人の者を情報不足につけ込んで騙す −1
人畜の疲労を回復させること1回 +1 約束事を1つ破る −1
死んだ動物を1つ埋める +1 正しい礼儀作法を1つ行わない −1
小さい虫一匹の命をも奪わない +1 1人の者の憂いや驚きを見ても何もしない −1
道路や橋を修理する +0.01 人や家畜の疲労を気遣わないこと1回 −1
河を掃除し水道を治す +0.01 小さい虫を1匹殺す −1
神社や仏殿を修理する +0.01 物を粗末に扱ったり浪費したりする −0.01
忘れ物や落とし物を届けて返す +0.01 人の功績を無にしてしまう −0.01
負債を免除する +0.01 大勢を裏切って自分だけが利益を得る −0.01
人を教導する文書を作って出す +0.01 他人の金銭を恣に使ってしまう −0.01
功徳を作って、浮かばれない魂に献げる +0.01 借りたものを返さない −0.01
困窮している人に施す +0.01 落とし物や忘れ物を私物化する −0.01
倉を建てて活用する +0.01 権限をちらつかせて金品を要求する −0.01
衣食住を事を施す +0.01 人の金品を取ろうと画策する −0.01

    東洋庶民道徳―了凡四訓の研究
     西澤 嘉朗  明徳出版社
※袁了凡の陰隲録関係の書籍では数少ない
現代語訳の本。文体は若干古臭いものの、陰隲録
のほぼ全編が現代文に翻訳されている。

功過格に書かれている善行を対人で施す際、その相手の選択に留意する必要があることは言うまでもありません。問題のある人間、凶悪な人間に手を差し伸べても徳を積むどころか、かえって自分が苦境に陥ったり、社会的な問題を引き起こす可能性があるからです。また、功過格上は、人の命を守るためにやむを得ず敵を殺さなければならないことは、プラスマイナスゼロと考えられ、自衛や防衛の必要性を放棄しているわけではありませんので、付け加えておきます。対人で功過格の善行を施す相手は、基本的に同じ国か友好国の善良で一般的な老若男女を対象とする、と考えた方が無難のようです。