大日如来最後の方便身


仏教の天部の神様である歓喜天様の御姿は、象頭人身で表現されることが多いですが、その起源は古代からインドに定住し、インダス文明を築いたドラヴィタ族(ドラヴィタ人)が信仰していた神様で、太陽神崇拝に関わりがあるとされています(「修験道の本」学研より)その神様がヒンドゥー教に取り入れられてガネーシャ神として崇められ、さらに仏教に取り入れられて大聖歓喜天として信仰されるようになりました。元々、仏教の天部の神様のほとんどはインドの神様であり、日本で○○天と名前が付いている神様は、たいていインドで別の名前で崇拝されている場合が多いようです。

インドのヒンドゥー教の神様 
ガネーシャ様

歓喜天様は、日本ではその御利益の顕著さ、強大さから“聖天尊”と敬われ、広く“聖天様”と呼ばれるようになりました。(以後、当サイトでは歓喜天様を聖天様とお呼びします)

箕面山は658年飛鳥時代、役行者によって修行地として開山されましたが、大阪府箕面市にある聖天宮西江寺の寺伝には「役行者が箕面大瀧で苦行を重ねていたある日、山獄鳴動して光明が輝き光の中から老翁に化身した大聖歓喜天が現れ、この山を日本最初の歓喜天霊場とし、万民の諸願成就のため未来永劫ここに鎮座すると申されました」とあり、本堂には役行者作の日本最初の大聖歓喜天像が祀られています。どうやらこれが、日本で最初に聖天様がお祀りされた事例ということになりそうです。

ただ、学術的には空海の御請来目録(唐から持ち帰った経典の目録)に「大聖天歓喜双身 毘那夜迦 ( びなやか ) 法」など、聖天様に関する経典が含まれていることから、空海が請来したと考えるのが一般的なようです。

聖天様の経典を唐から持ち帰った弘法大師・空海

仏教の神様となった聖天様の、宗教的な位置付けや解釈については諸説があります。

○ヒンドゥー教最高神のシヴァとパールヴァティー(烏摩 うま)との間に生まれた長男、シヴァの大軍勢の総帥であるガネーシャが仏教に帰依した姿

○人々を苦しめていた暴神ビナヤカが、十一面観音菩薩の化身であるビナヤカの女天に仏教守護を誓って夫婦になり、仏教の護法善神になった姿

などが代表的なもの。

その他にも、大聖歓喜双身大自在天毘那夜迦王帰依念誦供養法によれば、『摩醯首羅大自在天王(Maheshvara)は烏摩(Uma)を妻と為し、3,000の子をもうけた。其の左の1,500は毘那夜迦王を第一と為し、諸悪事を行っていた。其の右の1,500は扇那夜迦持善天を第一と為し、一切の善利を修めた。此の扇那夜迦王は則ち観音の化身であった。彼の毘那夜迦王悪行同生一類を調和し、兄弟夫婦と成ることを為した』と書かれています。

いずれにせよ、仏教に帰依して護法善神になったとされ、ヒマラヤ山脈の鶏羅山で9千8百の諸眷属を率いて三千世界と仏法僧の三宝を守護すると経典に記されています(大聖歓喜天使咒法経)

また、『日本の美術11』「宝山湛海の不動信仰と聖天信仰」には次のような記述があります。
(参考サイト http://www002.upp.so-net.ne.jp/eigonji/gane/newgane.html )

湛海は聖天の霊験をたびたび体験したが、聖天が毘那夜迦(びなやか)とも呼ばれること対して疑問を抱いた。円忍律師から菩薩戒を受けようとしたときにも毘那夜迦が障害を起こした。湛海がそのような疑心を抱いていると、聖天が夢にあらわれて、「毘那夜迦は象頭人身で聖天と似ているが、これは障害神だ。我が本名ではない。我は彼に障害を起こさせないようにしている。我は大日如来の化身であり、三界に自在力を持っていて、一切衆生を抜苦与楽させることができる。汝はまだ修行が足りないから、我と毘那夜迦を混同してしまうのだ。我を疑わしいと思ったら、小野曼荼羅寺所持の古書を見よ。」と告げた。その後三年たって、ある人が栄セン書写の『覚禅鈔』をもってきて来れた。その本の中に「聖天秘訣」があり、巻尾に「小野曼荼羅院(今の随心院)書之」と記してあった。この本を読んで種種の疑問を解決することができた。

生駒聖天を開いた湛海律師 
稀代の聖天行者としても知られる

覚禅鈔(かくぜんしょう) 別名『百巻抄』
平安末期から鎌倉初期に金胎房覚禅(1143〜?)が撰した図像集。原本は伝わらず、勧修寺本などの諸本の巻数は差異が著しい。興然(1121〜1203)の弟子覚禅は勧修寺、高野山などで同書を撰述、東密の事相、特に別尊法を集成し、諸仏、仏頂、諸経、観音、文殊、菩薩、明王、天等、雑の9部に分類、各節に関係経軌、尊像の由来、形像、印相、図像を収録するほか、先行の『図像抄』(平安後期)『別尊雑記』に未載の異図や新図を含むなど東密図像収の決定版。(岩波仏教辞典)

『覚禅鈔』は含光記(聖天様について書かれた仏教経典の一つ)を引いて、「ガナパティは歓喜といい、ほかのビナヤカとちがい、慈善根力をもって歓喜心を生じさせる。云々」と、聖天様が他のビナヤカとは異なり、ガナパティという善神であることを説いています。

聖天様の漢訳仏教における正式な御名前は大聖歓喜天様ですが、その他にも別名があり、聖天尊、聖天の他に、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、天尊とも呼ばれています。また聖天様の梵名(サンスクリット語の御名前)はナンディケーシュヴァラとおっしゃいます。古くから「大日如来の最後の方便身」といわれ、双身の場合、女天の方は十一面観音菩薩様の化身とされています。

秘仏の双身歓喜天像

大日如来様が慈非を垂れ給い、他の神仏では救い難い衆生を救おうと化身された神様ですから、聖天様を尊崇し一心に祈れば、どんな人のどんな願いでも叶えてくださると伝えられています。

待乳山聖天として知られる本龍院の大聖歓喜天和讃には

「世の父母が 其の子等の うき世を知らぬ 我侭を 無理の願いと 知りつつも その知恵浅きを 愍(あわれ)みて 願いを叶え 給いつつ 導き給うに さも似たり」

と詠われています。その他にも

「例えば宿業(しゅくごう)究(きわ)まりて、絶えなんとする玉の緒(お)を、つなぎ止めんとする如き、難(かた)き願いに至りては、唯この天(かみ)を他(よそ)にして、如何なる神を祈るとも、そのみ誓いにあらざれば、験(しるし)のなきを如何(いか)にせん。」

「されども独りこの天(かみ)は、唯一(ただひと)すぢに祈りなば、かかる難(なん)をも除(の)け給う。ましてや他の願望は、現世出世の差別なく祈る心のこの天(かみ)に、届かざりける例(ためし)なし。霊験(しるし)なかりし例(ためし)なし。」

とあり、因縁や宿業に追い詰められ、もはや絶体絶命の人間であっても、一心に聖天様に祈れば救っていただけることが書かれています。

聖天様を信仰するようになると、確かに人知では図り知れない不思議な出来事、偶然を経験することがあり、災難からも守られるようになります。しかし勘違いしてはいけないのは、聖天様が衆生を偉大な御力でお助け下さるのは、あくまで無知蒙昧な衆生の目を開き、信仰に導くための方便の一つであるということです。そのことを忘れて、ご利益に有頂天になり、いつまでも信仰心を持たずに傲慢な態度で聖天様をただの便利屋か何かのように扱い続けていると、ご利益もいただけなくなり、時には罰を受けることもあります。

当サイトでも御紹介している名著『聖天信仰の手引き』のような先達の残してくれた経験則を元に、謙虚に真摯に聖天様を信仰している分には、聖天様はあなたの上にお恵みと御加護を与えて下さるのではないかと思います。

個人的に聖天様を信仰することの第一の意義を問われたとしたら、「神仏の実在を実感出来ること」と答えると思いますが、これは誇張でも嘘でもなく、自分の正直な感想です。もしあなたが聖天様と御縁を結び、ご利益をいただけたとしたら、この言葉の意味がはっきりと理解出来るのではないかと思います。

聖天様の御尊像を収めるための聖天厨子

余談になりますが、聖天様を祀る日本の密教寺院の大部分では、聖天様の御尊像を一般には公開していません。浴油供という聖天様独自の特別な祈祷が出来るように、金属製の小型の双身像が多く、男天と女天が抱き合った姿で作られていますが、普段はお厨子の中に収められています。御尊像は寺の僧侶以外は見ることが出来ず、信者は聖天様の御尊像の代わりに十一面観音菩薩様の御仏像を拝むのが通例となっています。