聖天様の漢訳仏教における正式な御名前は大聖歓喜天様ですが、その他にも別名があり、聖天尊、聖天の他に、大聖歓喜大自在天、大聖歓喜双身天王、天尊とも呼ばれています。また聖天様の梵名(サンスクリット語の御名前)はナンディケーシュヴァラとおっしゃいます。古くから「大日如来の最後の方便身」といわれ、双身の場合、女天の方は十一面観音菩薩様の化身とされています。
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秘仏の双身歓喜天像 |
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大日如来様が慈非を垂れ給い、他の神仏では救い難い衆生を救おうと化身された神様ですから、聖天様を尊崇し一心に祈れば、どんな人のどんな願いでも叶えてくださると伝えられています。
待乳山聖天として知られる本龍院の大聖歓喜天和讃には
「世の父母が 其の子等の うき世を知らぬ 我侭を 無理の願いと 知りつつも その知恵浅きを 愍(あわれ)みて 願いを叶え 給いつつ 導き給うに さも似たり」
と詠われています。その他にも
「例えば宿業(しゅくごう)究(きわ)まりて、絶えなんとする玉の緒(お)を、つなぎ止めんとする如き、難(かた)き願いに至りては、唯この天(かみ)を他(よそ)にして、如何なる神を祈るとも、そのみ誓いにあらざれば、験(しるし)のなきを如何(いか)にせん。」
「されども独りこの天(かみ)は、唯一(ただひと)すぢに祈りなば、かかる難(なん)をも除(の)け給う。ましてや他の願望は、現世出世の差別なく祈る心のこの天(かみ)に、届かざりける例(ためし)なし。霊験(しるし)なかりし例(ためし)なし。」
とあり、因縁や宿業に追い詰められ、もはや絶体絶命の人間であっても、一心に聖天様に祈れば救っていただけることが書かれています。
聖天様を信仰するようになると、確かに人知では図り知れない不思議な出来事、偶然を経験することがあり、災難からも守られるようになります。しかし勘違いしてはいけないのは、聖天様が衆生を偉大な御力でお助け下さるのは、あくまで無知蒙昧な衆生の目を開き、信仰に導くための方便の一つであるということです。そのことを忘れて、ご利益に有頂天になり、いつまでも信仰心を持たずに傲慢な態度で聖天様をただの便利屋か何かのように扱い続けていると、ご利益もいただけなくなり、時には罰を受けることもあります。
当サイトでも御紹介している名著『聖天信仰の手引き』のような先達の残してくれた経験則を元に、謙虚に真摯に聖天様を信仰している分には、聖天様はあなたの上にお恵みと御加護を与えて下さるのではないかと思います。
個人的に聖天様を信仰することの第一の意義を問われたとしたら、「神仏の実在を実感出来ること」と答えると思いますが、これは誇張でも嘘でもなく、自分の正直な感想です。もしあなたが聖天様と御縁を結び、ご利益をいただけたとしたら、この言葉の意味がはっきりと理解出来るのではないかと思います。